スーツを着るときは、時計のベルトの色は、靴と合わせると良いと見たことがあります。こういったマナー的なものは、言いたい人が好きなように言っている印象があります。また、いわゆるその界隈のあるべきマナーについては、言語化が難しいと考えています。
言語化や規律化が進んだマナーは、結局は外側から見たそれであり、本来的なものにはなれません。その場の本当の中心にいる人にとっては、言語化されたマナーは、マスメディアが取り上げる若者言葉のようなものではないでしょうか。なんだか少しズレていて時代遅れといったものになりがちだと思われます。
それでもこういったマナーには、外側から飛び込むときのひとつの指標にはなりえます。それが100点満点ではなくても、それが決して及第点とはいえなくとも、ひとつひとつ積み重ねていかなければならないときがあります。
笑われようが、間違っていようが、その場に飛び込むことでしか身に着けられないものがあるはずです。そのためにも、マナーはマナーとして知ったうえで、それを絶対視してはいけません。取っ掛かりであり、もしかしたら的外れかもしれないと思いつつも、行動せざるを得ないという気持ちを肯定したいです。
時計のベルトが切れて困っていたところ、机の引き出しから以前購入していた交換ベルトが出てきました。茶色のもので、購入してから色合いが合わないと考えて黒色のものに変えていました。改めてつけてみると特に違和感はなくなっていました。私が変わったのか、そもそも拘るようなものではなかったのかわかりませんが、しばらくこのまま使いたいと思います。
不要なものを残したことでメリットが生じてしまいましたが、身近な空間を整頓するために、日々ひとつは物を処分していくことにしています。