自分が不安定なこと

自分が不安定になり、不安になることがあります。それに対する受け止め方は、毎回迷っています。

短期的な目的と将来の振り返りの視点

私たちが何かを行うとき、その動機には短期的な目的と長期的な意義の両方を意識することを考えてみたいです。短期的な目的とは、目の前の課題を解決し、成果を得るための具体的な行動指針です。一方、長期的な意義は、後に振り返ったときに自分や他者がその行動をどう評価するか、そしてそれがどのような影響をもたらしたのかを見据えた視点です。この二つは一見似ているようですが、その焦点や目的の置き方には違いも認められるはずです。違いがあります。

短期的な目的を主とし、長期的な振り返りを副次的な位置付けとする考え方もありますし、逆に、将来を見据えた振り返りを主とし、短期的な目的をその手段とする場合もあります。この選択は、価値観や生き方で決まることもありますし、個別の事案について、その都度判断しなければならないこともあります。どちらの立場を取るにせよ、「自分がどのように行動したいのか」という部分については共通しています。自分としてどちらにどれだけの重みをつけるか、もしくはついてしまったかという部分を見極めることになります。

行動で評価する視点

「どのように覚えてもらいたいか」という視点は、ピーター・ドラッカーが提唱するリーダーシップや自己管理の考え方と通じるところがあります。この考えは、「結果よりも行動に焦点を当てる」姿勢を示しています。つまり、自分がどのような意図を持ち、どのような行動を選んだかが、最終的に自分自身や他者にどのように影響を与えるかに重きを置くということです。

社会の中での結果は必ずしもコントロールできるものではありません。成功や失敗には多くの要因が絡み合い、時には自分の努力だけでは及ばない場合もあります。それでも、自分の行動はかなりの範囲で制御可能です。行動が自分の意思や価値観に基づいていれば、短期的な結果がどうであれ、自分自身に筋が通った感覚を持つことができます。この「筋が通った」という感覚こそが、行動の基準として重要といえそうです。

確認しておきたいことは、この筋の良さの判断が難しいことです。感覚や直感で判断することはできますが、その感度を高めていかなければ、楽な判断に流れていく危険があります。本当にその判断が筋に通ったものであるのかは考えなければなりません。この判断のときに、思考が停滞する傾向があることは自覚していきたいです。

将来の振り返りと自己の納得

将来、行動を振り返るのは必ずしも自分だけではありません。他者や社会がその行動をどう受け止めるか、また、視点を変えれば、お天道様が見ているという考え方もあります。これらは、自分が社会の中で生きる存在であることを意識させ、自分の行動に対する責任感を促しています。

しかしながら、他者の評価や社会的な影響を完全にコントロールすることはできません。結果として、最も大きな意味を持つのは「自分自身が納得できるかどうか」です。他者の目があるかもしれないという意識は、行動に一定の倫理的な緊張感をもたらしますが、その保証はありません。ゆえに、自分自身に問いかけ、行動が自分の価値観や信念に一致しているかを確かめることが大切になります。

最終的に、自分の行動を評価するのは、自分自身である場合がほとんどです。「あのとき、これが正しいと思った」「この行動は私の信念に基づいていた」という実感があれば、どんな結果であれ、納得感を得ることができるのかもしれません。それは短期的な結論を超えて、意義のある生を進めることができるのかもしれません。

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