年を取ってからも若い頃に触れたものを

50代だろうか、もしかしたら60台かもしれない。喫茶店に座っていたその男性は、スマートフォンを片手にブレンドを飲んでいた。喫茶店ではまだ紙の本を読んでいる人が目につくが、スマートフォンを見つめている人の方が今や当たり前になってしまっている。決して溶け込んではいないのだが。

スマートフォンに張り付ける覗き見防止用フィルターの普及率はどれほどだろうか。電車に乗ったときなど、隣の人の画面内容は見ようと思えば見えることが多い。たいていの人は、メッセージアプリを開いているか、動画を見ている。ゲームをしている人がちらほらおり、文字を読んでいる人がそこに続く感じである。

喫茶店にいたその男性はが開いていたアプリはゲームであった。パズルとモンスター討伐を組み合わせてもう息の長い定番人気アプリだ。続けている人は、何年間継続しているのだろうか。ゲームといえば若い世代がするという偏見はあるが、そのアプリが10年以上提供されているとすれば、もしかすると男性が始めたころ、彼は30代であったかもしれない。今まわりを見渡せば、30代でゲームをしていても何も違和感を覚えるところはない。

年齢にそれほど関係はないのかもしれない。私自身が年齢を意識しすぎているのかもしれない。遊戯といえば、囲碁も将棋も年を重ねてからでなければできないものではない。体感としては、若いころから触れていた人が多いはずだ。年を重ねてから始める人も珍しくないが、始めたばかりです、初心者ですという人に出会うことは多くない。

脳の構造として、実際に始めることで継続する意思が生じるというようなことを聞くことがありますが、長い期間で考えてみても一度でも触れたことがあるものについては再開するハードルは低くなるのかもしれません。若いころに触れたものには、年を重ねてからも再び触れることに抵抗は少なくなります。そのためにも、体験しておくことを大切にしたい。経験を広く持つこと。そこから触れるものが広がることが、良いことかはわからない。それでも、広げていきたい気持ちは大切にしていきたい。

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