ニュースがつまらないその原因

Googleニュースなど、ニュース記事を集約したポータルサイトで最近の話題を知るためにざっと全体を眺めることがあります。ただ、どうも面白みが少なく、気になった記事を見ても対して時間をかけて読もうという気になれません。また、特にスマホで見ていると、全面広告が出てくることが多く、これも読む気を削ぎます。

芸能ニュースやスポーツニュースなどは関心がなければ見る必要がありません。また、社会的なニュースも表面的に感じてしまいます。しかしながら、そもそもニュースとはそういうものなのでしょう。今社会で何が起きているのか、万人が関心を持ちやすい内容を幅広く集めるものがこれまでの新聞やポータルサイトの役割になっています。これらの場所で知ることができる内容としては、せいぜいキーワードとなり得るもの程度であって、それで十分なのでしょう。それ以上のものを知りたいと思うのであれば、方法を変えるしかありません。

インターネット上で有益な情報を探すのは簡単ではありません。良質なサイトというものは珍しいです。それを探し出せることがネットリテラシーのひとつになっていると思います。Google検索は有益ですが、どうしても検索結果に偏りは生じています。公的な情報やそれに近い情報量が高い評価を得ているように思います。インターネットに散らばる個人の得意な表現を拾い上げるという部分に関してはほぼ無力ではないでしょうか。検索の性質からして、その結果が一義的になってしまうことからやむを得ないと思いますし、ビジネスモデルとしても致し方ないとは思います。そうしますと、自分が興味を持つである内容は、自分で探し出すしかありません。

生成AIの行方

これについては最近の生成AIについても同じように思います。使えることに越したことはないと思っていますが、そこにはある程度の劣化が避けられません。既存のデータからの出力となっている以上、独自性を発揮することは難しいでしょうし、独自性を発揮してしまえば有益性を損なうという位置づけが、今の生成AIであると思います。今後独自性を主張する生成AIが出てくることは考えられますか、そこには社会に受け入れられるかどうかという問題に突き当たりますから、個別の生成AIが芸術家が直面するような競争が待っているはずです。

ただ、問題なことは、生成AIによる生産物が一定の需要に答えられていることです。それが一部の劣化であるとしても、それで足りる経済圏は確かに存在しています。それは将来的に残るものではないかもしれませんが、いわば消費財を生成するようにデジタル消費財を生成するビジネスになってしまっています。これはいわゆる不労所得的な位置づけではなく、まさに労働集約的な位置づけから抜け出すことはあってはならないはずです。

一部界隈ではすでに生成AIによる結果が乱立してきています。一部の先行者は地位を確保しているようですが、彼らは不完全な状態で波に乗り始めたことのメリットでしょう。この後も同様のものはありますが、規模は小さくなっていくように思います。その中でどのような独自性を生み出せるかを考えていかなければなりません。

有料登録サイト

情報の質といえば、これまで数多くの有料情報サイトが出てきました。どれだけ残っているかは分かりませんが、情報の質を絞り込んで差別化を図っています。私もいくつか登録したこともありますし、今でも登録しているところはあります。これらは単純な新聞社のサイトとはまた別に思います。

専門誌と似た立ち位置ではありますが、やはり情報が蓄積されるメリットもあります。それでも、それらを如何に活用できるかが大切であることは変わりません。通り一遍の情報とは異なりますが、継続してると結局同じ内容の使いまわしになってしまうこともありますし、そういったサイトは発展しづらいでしょう。一周すれば足りるとなってしまうと、継続して価値が出づらいですし、ニュースサイトに近づいてしまいます。雑誌の「ムー」などは一年で一周するとか言われていたように思います。このように考えると、有料登録サイトにも幅がありそうです。

いかに自分にとって有用であるかを考えて登録していきたいです。

インターネットにないもの

インターネット上にない情報にはやはり今でも価値があります。数時間ネットサーフィンして満足しても本を一冊読んだほうが良いとは昔から言われてきたことです。また、テレビなどでも一時間に組み込める内容は新書数十ページもないとも聞いたことがあります。それだけ固定された文字の力は強いのです。

それでも価値があるとすれば、社会の一側面ではあること、何を知るべきか考える材料になることでしょうか。優越があるわけではなく、特性が違うだけです。すべてを一部のものだけで満足しようとすると、かえってコストが高くなりますし、不可能なこともありそうです。最適な方法で最適なものにたどり着くことに勝ちがあるのでしょう。それを外注することもできますが、その評価は簡単ではありません。しかし、わからないからこそビジネスとして成立している面もあります。

自分で判断することが最適というわけではありませんが、人を信じるだけではなく、自分で判断したいかなければ、判断したり選んだりする力は培われません。どこに力を入れるか、どこを後回しにしてよいのか、自分で考えていきたいと思います。

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