Androidの利点がなくなった

最近、AndroidかiPhoneかという話題を見かけることが少なくなってきた気がします。私は一年間ほどiPhoneを使用したことがありますが、その後はずっとAndroid端末を使用しています。流れでいうと、ガラケー、Android、iPhone、Androidという流れです。iPhoneだけ1台で、他は複数台使用しました。

iPhoneをやめた理由ははっきりとは思い出せませんが、確か通話録音ができなかったからだと思います。アメリカの法律の影響なのかiPhoneでは通話録音ができません。Androidはその頃は録音できましたが、徐々にiPhone同様に制限するようになり、今ではAndroidでも録音は難しくなりました。録音できるアプリもありましたが、転送機能を使うような抜け穴的な対応のものもあったように思います。あれは今でも使えるのでしょうか。

もし通話を録音したいと思えば、ソフトウェアによる録音が制限されている以上、物理的に録音するしかありません。一度音として出力されたものを録音することになります。結局昔ながらのICレコーダーに回帰したわけです。ICレコーダーを用意するか、録音用に別のスマホを用意するか、することは同じです。また、この方法ですとソフトの不具合や設定ミスが考えられませんので、録音できないことがありません。

ところで、通話録音が禁止されている理由、通話録音をする際に録音する事実を警告しなければならない理由はなんでしょうか。考えられることは、プライバシーの侵害になり得ることや、いわゆる言質をとられる危険性への配慮が考えられます。言い換えれば、発した言葉には責任を伴うことがあるということです。そのために、オフレコの権利ともいうべきものが認められていることになります。日本でも企業の電話などでは警告を行っている場合が珍しくありません。私としては録音される可能性は常に有りえると思っていますので、それほど気になりませんが、具体的な法制度がある場合はどのような心理になるのでしょうか。

考えられることは、音とそれ以外の峻別が大きくなることです。音によるやりとりはある程度柔軟に自由な言論を確保し、確認すべきことや合意すべきことがらについては書面などの明示的に残る形でやりとりすることになります。このように区別すれば、音を信頼したのに裏切られたという自体を回避でき、かつ、合意や信頼に基づく行動を促すことも可能になります。この方式ですと、いわゆる「言った言わない」の問題を回避できます。そのかわりとして、書面作成のコストは生じることになります。

このようになれば、自由な表現や議論は確保しつつ、固めるべきところを固めるという方法が取れます。そして、このルールを破れば、それは非難の対象になるでしょう。言質に基づく主張をすること、それから書面を反故にすることです。

どのような道具を持つかは、どのような文化に生活するかにも影響されそうだと思います。

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