特有の季節を感じる耳

数日前からか、セミの鳴き声が聞こえるようになりました。虫の鳴き声について、それがない地域の人たちには、鳴き声が雑音に聞こえるということを聞いたことがあります。日本のアニメやドラマを見ると、雑音が入っていて違和感があるようです。他方で、国外の方であっても、日本で育っていると問題なく虫の鳴き声が聞こえるそうです。これは第一言語によって聞こえる音が異なることと同質のことがらに思えます。雑音と虫の鳴き声を区別する耳を持っていなければ、聞き分けることは不可能になるのかもしれません。

セミの鳴き声を聞くと、夏や梅雨の終わりを感じられます。しかし、鳴き声が聞こえない人にとってはそのような契機はありません。そもそも夏や梅雨の終わりという考え方自体ないかもしれませんし、それを認識する必要がないかもしれません。これらの結びつきと、それを認識できることは、特有の文化に属していること、ひいては私の特徴になるのでしょう。

天気や気候は毎日変化していますから、夏や梅雨の終わりだけを感じるというのも文化の影響になります。それを感じないということではなく、より細かな変化に言葉を当てることも考えられました。虹の色が7色に限られないように。

一日一日が変わりのない日々の繰り返しになることがありますが、それは変化を感じることができずそれを表現することができない私に原因があるのでしょう。自分自身が外界を認識する解像度を上げるためには何ができるのか。取っ掛かりもわかりませんが、心掛けていきたいと思います。

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