プロフェッションの日常/「羆嵐」吉村昭

Wikipedia三大文学ということで、「死の貝」に引き続き「羆嵐」を読みました。吉村昭の著作は久しぶりです。以前呼んだのは十年以上前ですが、当時は良さがわかりませんでした。当時読んだ本ももう一度読んでみたいと思いました。吉村昭の著作は、新潮文庫に多く収録されており、古本屋でも必ずと言って良いほど見かけます。今回じっくり「羆嵐」を読みましたが、他のものも是非とも読みたくなりました。

簡潔にまとめれば、1915年(大正4年)年におきた羆による被害を小説に仕立てたものです。死者は妊婦を含む6名でした。

現場が、北海道の日本海側の開拓地であり、住民はせいぜい数十名であり、銃もほとんど使われていないものが数丁という村で起こった事件です。まずは、その舞台の開拓地の情景にのめりこみます。生きていくのがやっとの場所であり、住居も小屋ということさえ憚られるようなものであり、羆がくればひとたまりもありません。板付きの家でえ、羆にとっては何ら障害になっていませんでした。

本書を読んで、警察分署長が約200人の近隣住民を取りまとめて討伐隊を編成するわけですが、最終的には熊猟師である銀四郎1人の二発の銃弾により熊は仕留められます。そこに至るまで、被害を受けた開拓地の住民は、当初は銃を持ち意気込み、クマを一目見て意気消沈します。そして、分署長が集めた住民も、彼らと同じ経路をたどります。

登場人物の中で、最初から最後まで平常の行動ができているのは、皆が羆の幻影に怯えその様子から嘔吐するような場所で冷静に検視をこなす医師、そして羆の行動や周囲の状況を読み取り淡々と行動し羆を仕留める銀四郎だけに思えます。分署長も比較的落ち着いていますが、それは羆を知らない無知から来るもののように描かれていると思われます。分署長も、最後は銀四郎の力を組み入れることに迷いはありません。銀四郎が最後に先遣隊から離れたときも、分署長は銀四郎が羆の逃げ道を塞ぎに行ったと言っていますが、銀四郎を単独行動させるためのやり取りであったのかもしれません。

区長ら被害を受けた開拓民は、当初の浮かれ具合や銀四郎に金をやった後悔はあれど、自分たちの土地が失われるという現実感からか、途中からは銀四郎を呼ぶしかないという判断を共有していました。自分たちの問題であるとの認識がなければ、このような判断には至らなかったのだと思います。最後に、区長において悪酒粗暴の銀四郎に対する見方が変わったことも、区長の視野が開けたのだと思います。結局のところ命を賭けているのは、生活基盤がかかった開拓地の面々と銀四郎だけでしかなかったことが、区長において銀四郎を他者と見られないところまで向かわせたのではないでしょうか。

読み返せばまた違うことが感じられる作品だと思いました。

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