半分は楽しさでできているけれど

楽しむことは大切だ、楽しむことは正解だ、楽しむことは望ましいことだ。私の中の半分は賛成する。遊びはもちろんのこと、仕事であっても楽しめるのであれば楽しんでいい、むしろ楽しんだ方がパフォーマンスがあがるという考え方には正解が含まれている。私の半分はこれに抵抗するから、賛成している半分が頑張って引き寄せている。楽しんでいいんだよ、楽しくなるにはどうしたらいいと思うかいと尋ねてくる。私だって楽しいことは嫌いではない。楽しめて楽しいならそれが良い。楽しさを目指していいと思っている。

それでも、楽しさを目指すことは敢えて努力する内容であるとも思っている。自然なままに楽しむことはできない。楽しむことは自然ではなく、特別なことに属している。私の自然はそこにはない。私の半分はそこには相容れない。楽しさを目指すとき、私の半分は苦しんでいる。邪魔をしないでほしい、声をかけないでほしい、集中させてほしいと。楽しいことは好きだし、楽しみたいとも思っている。それでも、そこに私の満足は決して存在しないことも知っている。いっときの清涼感として素晴らしいことは知っている。私に不可欠なことも知っている。それでも、私を苦しめて、消耗させていることもわかっている。

楽しむことが何かは知らない。楽しむことの意味もわからない。でも、楽しんだ先には楽しさしかない。そんなのは面白くない。そんなの絶対楽しくない。

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