私のことではないのですが、先日夜の電車の中でおそらく偶然の再開をされていた方々がおりました。最初の気が付いたのは私側の座席に座っていた若い女性の方で、相手の方は向かいの座席の端に座られていた少し年配の方でした。私の記憶が曖昧ということと、その時点では特に意識をしていなかったので印象に残っていないのですが、若い方が相手の様子を身を乗り出して観察していたように思います。おそらく記憶の中の方と照らし合わせていらしたのでしょう。しばらくして、確信を持たれたのか、意を決して声を掛けました。
相手の方は怪訝な様子をされていて、それはしばらく続いていたのですが、若い方が何か言葉をかけてしばらくすると打ち解けた雰囲気になっていました。相手の方は完全に思い出していなかったのかもしれませんが、若い方が話す内容から、当時の状況を思い出すことはできたのでしょう。話している内容には相手の方のお名前もあったように見えました。相手の方はなんとか思い出そうとしていたように思われます。
私も電車の中など通り過ぎる場所で久しぶりの方とばったりと出会ったことはあります。あのような場合は、なかなか気づかないものです。周りの人達のことを常に観察しているわけではありませんので、偶然に目に留まったときに気づけるかどうかということになります。最近では、座ったとたんにスマホを見たり本を読みだしたりしてしまうことが多いですから、余計に気を配ることができていません。
これだけ広い場所の中で偶然に出会う確率は高いのか低いのかわかりませんが、主観的にはときおりあることという印象です。私たちの状況にもよって変わっていくことではありますが、意外に世間は狭いのです。お互いに気づいていないだけで、見える範囲ですれ違っていることもあるのでしょう。偶然を増やすためにできる限り活動的になることは考えられますが、出会いはその瞬間にしかありえませんから、それには限界があるように思います。
生まれた偶然を活かすために、もしかしたら出会っているのかもしれないと周囲に気を配る方が現状を変える意義は大きいと思われます。知り合いとの出会いではなくとも、世界に対する解像度をあげることにもなりますから、意識を外に向けるのもいいかもしれませんので、やっていきたいと思います。