夜に足を置く

4月も半ばを過ぎ桜も散り終えてしまいました。今は緑の葉が隙間を埋めています。暖かさは確実に積み重なってきているはずなのに、昼と夜ではまだ季節が違います。夜は未だに季節を感じられず、昼はどのような服装をしてよいのかわかりません。

一日を通じて、汗を掻き、昔は嫌っていたマフラーを今日もつけています。一年間の季節の変化と、昼と夜の場所の変化は、広い格子模様の中を歩かせてきます。私はいつから四季だけが順に巡るなどと考えていたのでしょうか。

動物にとっては眠っている状態が平常であり、起きて覚醒している状態は異常であり、いかにして覚醒時間を伸ばしてきたかが人間の進化の歴史であるという文章を見たことがあります。どこまで科学的な裏付けがあるかはわかりませんが、睡眠や冬眠などは、動物のあるべき姿なのかもしれません。そうしますと、なんで寝なければいけないのかという考え方は、基本と例外が逆転してしまっています。自然と起きている時間の中で、如何に生きていくかを考えることが、動物である人間にとっての当たり前の姿なのでしょうか。

夜型の人たちは、夜という安定した場所での生活を好んでいるのだとすれば、一定の環境を維持することを大切にしており、身体を労った生活習慣を持っているようにも思います。外に出て何が待ち構えているかわからない状況に飛び込んでいくのではなく、安定した環境の中の最適化を目指すことに生物としての違和感はありません。それにもかかわらず、昼間に外に出て、新たな環境に揉まれ、予想のできない刺激に溢れた危険の中で生きていくことを求められるのは、とても厳しいことに違いありません。

静かで落ち着いた夜の中に人生の基礎を固めることは、もとより求められて然るべきことでありましょう。

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