Twitterの数年間使われていないアカウントの削除の雑感

Twitterが、数年間使われていないアカウント(休眠アカウント)について削除するという。最近目立つイーロン・マスクの方針のひとつであるという。最初の感じたのは違和感であった。

休眠アカウントの削除は、tweetをも消してしまうのだろうか。確かに動いていないアカウントを残すことは、管理面で何かしら手間なのかもしれない。また、企業として、休眠アカウントを除外することは、現在のサービスの状況を表すことができるということで、誠実な面もある。そして、確認してみると、利用規約としてもそのようなアカウント削除の規定は存在していたようだ。そして、彼があえて言うということは、積極的に進めていくということになるのだろう。

Twitterの位置づけ

違和感と述べたが、整理してみると、Twitterの位置づけの問題といえそうだ。使われていないアカウントを削除するということは、Tweetのストックとしての側面は尊重されないということだ。そして、最新のフローの部分がTwitterとしてのあるべき居場所ということになる。

たしかに、最新のtweetが絶え間なく生み出され、やり取りされていくのがTwitterの強みである。だからこそ、SNSツールとして、さらには広報ツールとして支持されている。Twitter自体がメインサイトという使い方も珍しくはない。Twitterにすべての今が集約している。その今により注力するのが今回の取り組みと言えそうだ。

しかしながら、過去を消していくというのはいかがなものか。ユーザーを中心に考えれば、凍結アカウントのユーザーは、もはや過去のものであって今を生きておらず、余計なものなのかもしれない。しかしながら、tweetを中心に考えれば、過去も今もなく、そのtweetは今まさに存在しているのである。

それらに対する今回の取り組みは、取り組む方向性として一貫性があるとは思えない。その過去のtweetも合わせてTwitterの強みなのである。今現在、そして近い未来だけを見ていては、Twitterの影響力は次第に衰えていくだろう。

過去が失われることの重要性

Twitterが登場した当初、ブログブームに対して、短くつぶやくことができるということで、独自の地位を占めることができていた。「なう」だけで存在がゆるされていたのだ。

今では、ブログを超えた地位を締め出した感がある。Twitterをメインサイトとして利用したり、まさにブログとして利用したりするなど、使い方も広くなってきている。そうした中で、過去を失わせる可能性は、サービスそのものへの信頼性を失わせる。

サービスの終了と言えば、思い出されるのはジオシティーズの終了である。あれによってどれだけの日本のWEBコンテンツが失われたことか。コンテンツは、ユーザーを離れて存在しうるのに。

現在のアクティブを表現したいのであれば、たとえばフォロワー数やフォロー数を調整すればよい。アカウントの削除は条件ではないはずだ。

彼の言動からは、今の瞬間的最善を追求するとの印象が強い。また、一貫性も特に求めていないように見える。今、今、今。Twitterがそういった方向性に進むのであれば、まさにマスメディアと同じ道で支持を失っていくはずである。

好きなtweetをたどってみたら、2012年のものであった。そして、そのアカウントは2015年を最後に更新されていない。こういったものも消えていくと思うと、もはやTwitterは使い捨てられる側に積極的に回ることになる。Tumblrに亡霊を見るだけになるのは悲しすぎる。

消えてほしくない。

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