文化の根底にあるもの

映画マトリックスの緑色の半角カナが縦に流れるあの画面は、国外の人が日本のイメージをもって作り出したものだと聞いた。

ああいった日本風文化は、えてして違和感の大きなものになることが多い。そして、どうも日本的でもなく、美しさもないものが多い。

マトリックス自体は、ところどころに日本アニメをオマージュした場面があったり、影響が見て取れて、そういったところから、何かしらの日本文化の特徴を写し取ることができたのかと思う。

縦書きのプログラミング言語自体は創作ではあるが、違和感なく受け入れられて、しかも日本的だと言われればその気もしてくる素晴らしい表現だと思った。

単なる物を配置するだけではなく、その物の位置づけや形式において文化が表現されることができるのであって、それこそが私が感じているものそれ自体の本質なのかもしれない。そして、その本質を生み出したのは、触れ続けてきた文化資本の集大成であって、言語化することが非常に難しいものなのだ。

私にも感じるものがあったのかと。感情というものは、とらえどころがないものでもある。人に対するものだけが感情ではなく、それ以外のものに対しても感情は生じている。ある感情が、どちらのものであるにせよ、それは私のそれであって、私が育ててきたものなのだ。仮にその方向性に違いはあれど、量において優越をつけるものではない。そこに卑下する違いはなにもない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です