学習ツールは書籍に戻ってくる

OCWを探してみたが

書籍というパッケージは素晴らしい。Youtubeという動画コンテンツやオーディオブックという音源コンテンツが増えてきた。すべてYoutubeという人もいるだろう。改めて振り返って、書籍という媒体の価値が私の中で高まっている。

一昔前にOCW(Open Course Ware)が広まり、その後尻すぼみになっていた。探してみたのだが、どうも良いものが見当たらなかった。もっと時間をかけて探せば見つかるのかも知れないが、その多くはレジュメなどのコンテンツのみで授業動画そのものは見当たらず、授業動画があるものはそもそもが公開講座などの一回限りにものが多かった。新しい分野などで取っ掛かりとしては良いかもしれないが、いずれも書籍というコンテンツに劣ることは明らかだった。

そもそも、公開に向けた積極的な動機がないのであろう。盛り上がったときも単なる流行り以上のものは感じられなかった。知を誰にでもというだけでは、継続性は維持できなかったか。

Youtubeは玉石混交

Youtubeについては広告収入に大きく変動があったようで、多くのチャンネルで収入が激減しているようだ。それはさておき、玉石混交ながら質の高いものも多い。

分類としては、独自があるか否か、専門性の程度で考えている。よくあるものは、ほとんどWikipediaの内容を基準として、音声と動画を当てているものだ。整って入るのだが、ある程度知っている分野であると、内容に新鮮味が乏しい。そのため、せっかくであるから独自性のあるものを求めることになる。

専門性の程度は、必ずしも重要ではないと思っている。もちろん、専門性の高いものは素晴らしいのであるが、専門性の方向性が多様であって、いわゆるアカデミック以外の方向性もあり、楽しみは多い。

オーディオブックは頭が追いつかない

オーディオブックには私に慣れがない。聞いていて言葉はわかるのだが、頭に入ってこない。文字を読むときも、必ずしも一直線に読んでいるわけではないのだが、音から入ってくると一時停止も聞き直しもできない。私の理解と全く関係なく流れていく音は、頭に入ってこないのだ。

また、オーディオブックは文字にて作成されたコンテンツを読み上げるものであって、必ずしも読み上げに最適化しているわけではない。読み上げへの最適化が何を意味するのかは分からないが、いかに丁寧に読み上げたとしても、それが最適かといわれると大いに疑問がある。

映像に戻れば、よく映像コンテンツについて、特にテレビ番組についてだったと記憶しているが、1時間番組で表現できる情報量は、新書で十数ページ程度という言及を見た記憶がある。内容によって様々であろうが、新書1冊で考えると10時間以上が必要ということになる。効率としては良くはないだろう。

映画などを考えると、コンテンツとして完成品ではあるし、メッセージも伝えられているように思うのだが、人によって受け止め方に大いに差が出るものでもある。そして、そこで伝えられるものは連続的であり、物語的であり、メッセージ的であるのだ。書籍のような情報の塊が受けての中に構築されることを目指すものではない。情報の塊を受け続けて何か引っかかるものがあるかというのが映画などにおける感じ方になっている。

そういえば、インターネットに情報があふれだした頃に、「インターネットで学習できる。便利すぎる」と言っていても、結局は本を1冊買って来たほうが効率的だという話があった。そこから何も変わっていない。いかに音声が充実しようと、いかに映像が充実しようと、やはり何か不足するものがあるのだ。

自分で整理すること、自分の頭の中で積み木を組み立てて壊してを繰り返すこと、自分なりに表現すること、いずれも聞くだけや観るだけではできないことばかりだ。

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