ChatGPTの影響が少ないとすれば

何か特別なのだろうか

ChatGPTが衝撃なことは広まってきているようだ。テレビでも特集で取り上げられ、かなり言葉は広まってきている。一度振り返って考えると、ChatGPT自体は言葉を処理する機能であって、これまで人間ができていたことではある。その処理速度や量的な処理能力において驚異的であることは間違いないが、人間ができなかったことができるようになったわけではない。

これは、電卓やコンピュータの新しさと変わるところはない。学校において電卓が持ち込み可能の試験はあったし、簿記の検定試験もたしか電卓の持ち込みは可能であったように思う。それらとChatGPTとの間に革新的な違いはない。そういった意味において、ChatGPTなどに関わらないで生活するということは、もはや不可能だ。

そうはいっても、ChatGPTがこれまでの技術革新と比較して、何か特別なことなのだろうか。たしかに、現実に見せつけられて驚きは感じた。しかし、何か大きな転換点なのだろうか。もちろん未来のことという事情はあるが、完全には腑に落ちていないところだ。

衝撃が大きいかどうかなどは、評価の表現の問題に過ぎない気もしてくる。技術は常に進歩しているのであって、ChatGPTが積み上げたものは大きかったのかもしれないが、現実に生み出されて以上、それとともにあることになるのだろう。ChatGPTなどのLLMについて、一時研究を中断すべきであるといったOpen Letteerが出されたが、どうもしっくりきていない。出遅れた陣営の時間稼ぎなどといううがった見方もあり、それは可能性としてはありえるところだが、それだけではないだろう。得体のしれない不安感を持っている人はいるはずだ。

ChatGPTに関連して、懸念が表明されているものとして思いつくのは、雇用問題、そして教育問題だ。そして、Open Letteerで取り上げられた内容だ。Open Letteerの陣営間競争の実利的側面はさておき、何が取り上げられているのか。

ということで見てみたのだが、第一印象として大したことは書かれていない。協賛者を得るたえには、こういったものになってしまうのかもしれない。主題としては、進化し過ぎたAIに対する準備ができていない、制御できない可能性、そして生み出されるものによる影響の懸念といったところだろうか。しかし、これらの要素について、社会的活動を制約することは期待できないだろう。

制御可能性については確かに問題であるが、それは知性が生じていると考えていることまで踏み込んだものなのだろうか。知性らしきものが感じられるというのものであれば、それは見た目に過ぎず、取り上げるに値しない問題だろう。制御できない可能性と関連して、たしかにブラックボックスと化し、いかなる演算によるものが評価できないという問題は生じてくる。しかし、それもそのようなものだと理解して利用すれば、懸念は解消されるのではなかろうか。それに、これらの問題は、一度立ち止まったところで、明確な結論や共通理解が得られるものとは思えない。

実務と教育

実務分野でいえば使えるものが使うという精神であるし、だからこそ雇用の問題がクローズアップされている。雇用が減少してしまうのではないか、できる人の生産性が極端にあがえるのではないかということが社会問題になるわけだ。

教育においていえば、自ら学ぶ者においてはほとんど影響はないだろう。懸念されることは、いわゆる提出課題や試験である。ChatGPTにより、ほぼ従前的な思考をせずに済ませることができるようになってしまった。

現状のChatGPTであれば、ChatGPTで対応できない課題や試験を用意することはそれほど難しくない。将来的にどうなるかは不明であるが。これは教育をする側が試されていると考える。今までも、例えば電卓を使えば容易に処理できたものはあったわけであり、それがほとんど懸念として取り上げられていなかったのであるから、それほど影響はないとも思えてくる。

考えなければいけないのは、教育をする側、教える側においていかに道筋を作るかではなかろうか。自ら思考させること、思考というものを実感させ理解させること。それはこれまでもこれからも変わらず、そこに今回のインパクトがどれほどのものであろうか。

原爆とクローン

ところで、Open Letteerの懸念を見ていて、社会的に問題ではないかとして思いつくものは、原爆の開発と人クローンの生産だ。

原爆については、その開発者における苦悩という切り口があった。しかし、その後も技術開発については、国際的な監視等については存在するが、技術開発そのものについての制約という考え方には至っていないのでなかろうか。

人クローンについては、国際的に禁止の方向であったかと思う。日本では、「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」があるようだ。これは知らなかった。

「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」の想定物

20条ほどの法律なのでざっと読んでみた。法律はだいたい最初の目的などが面白いのだが、これも第一条からインパクトがあった。

特定の人と同一の遺伝子構造を有する人(以下「人クローン個体」という。)若しくは人と動物のいずれであるかが明らかでない個体(以下「交雑個体」という。)を作り出し、又はこれらに類する個体の人為による生成をもたらすおそれがあり

ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律 第1条

単純なクローンだけではなく、人遺伝子の交雑をも念頭に置いている。たしかにDNAという共通要素をもち、これまでの進化を考えれば交雑を想定するのは当然であるが、このようなSF的思考がすでに現実の社会に存在していることを示されると、確かに頭が揺さぶられる。国会の審議はいったいどのような様子であったろうか。

そして、「人と動物のいずれであるかが明らかでない個体」という交雑個体の定義が面白い。人であるかもしれない個体を想定しているわけである。このような人の定義の不安定さに向き合い、結論を出さない形で成文化した法律は他にあるのだろうか。

法律の他の条文は、どこまでの技術を制限するかという内容と、許容される技術に対する監督等の仕組みについて定めている。制度としてはシンプルであるが、技術が進み、グレーゾーンが出てきたときに、その都度議論されることになっているのだろう。

なんでこんなことを書いているのか振り返ると、ChatGPTに対する一時的制約に関連してであった。法律に関していえば、ChatGPTには著作権法に抵触するかというボトムアップの問題もあるが、そもそも制限するべきというトップダウンの問題もあると。また、人クローンと異なり胚のような物理的なものがあるわけでなく、許容する技術の線引きも非常に難しいことが想像される。何らかの制約が機能するとは到底思えないといったところだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です