静けさと涼しさ

何かの観光で行ったお寺の講堂のような場所に入ったとき、人はそれなりに、混んだ電車くらいにはいたにもかかわらず、ふと涼しさを感じたことを覚えている。あのとき、実際に建物の形状から涼しくなったのかどうかは、いまでも振り返って不思議である。そこでのお坊さんの声は、澄み切ってとても聞こえやすかった。

学生のときの修学旅行だったかと思う。この感覚の後、その講堂で話を聞いた記憶がある。

最近喫茶店にいて、ふと客席の声が途切れた瞬間があった。そのときの静けさは耳を打つほどで、わずかに聞こえ出す声の輪郭がとてもくっきりと感じられた。お坊さんの声を思い出した。

静かなお店といえばありそうなことなのだが、めったに気づくことがない。これは、喫茶店では何かしら他の音、多くのときに音楽が流されているからかもしれない。音楽が途切れた瞬間に気づくことはないのだが、それからしばらくしてふと気がつくと、音楽もなく、声だけが響いているときに、とても静かな心持ちが感じられる。

そのようなときには、他の人も意識的にか無意識的にか、大声で話す人は少ない。落ち着いた声で、落ち着いた話をしていることが多いようである。

客席の音楽は、プライバシーのための方法ではあるのだが、あの落ち着いた雰囲気はとても心地が良い。あの静けさといえば、昔の教室での意識が遠のく心地良さを思い出す。あの涼しさは、もう味わうことはできないのだろうか。思い出の中にしか、存在しないものなのだろうか。

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