寒気と温かさ

平常の体調は一瞬にしては手に入らないものなのだ。体の異変に気がついてから、対処や薬を飲んで、即座に回復することはめったにない。様子を観つつ、回復を願うしかない。明確な外傷があろうがなかろうが、必要になる時間は変わっても、大きな違いはなさそうだ。

それにしても、忘れやすい生き物である。こんな心がけは、せいぜい2日3日で忘れてしまうものだろう。ただ忘れるだけなのか、日常の中に埋もれてしまうのかはわからないが、回復していた時期に、意識し続けられたことはない。

これはかえって体が健康だからなのかもしれない。苦労されている方にとっては、先の日常こそ異常として捉えられるのかもしれない。それは苦痛に満ち、願いに満ちているのだろうか。

いまこの現状で、体の気だるさがぬめりと覆いかぶさってくる。季節の変わり目でもあり、体調管理の不十分さでもあり、生活習慣のいいかげんさであり、体は火照り、頭痛の兆しにうったえかけられ続けている。

祈る神はいないのだが、反省と後悔はここにあり、わずかな重さを感じさせてくれていることが、心を落ち着かせてくれている。顔に触れれば手は冷たく温かい。

いったいどれだけの年月を重ねれば、日常と異常の際はなくなり、日常が広がってゆくのだろうか。そんなときが来ることはないのだろうか。この首筋の熱と痛みを捧げ祈り申し上げたくなるのである。

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