いつだって、体調が気になるのは、体調が崩れたときだ。頭が痛くなれば凝り固まった体に後悔し、腹を下せば体を冷やしたことを大いに悔いる。体を温め、定期的な水分補給を始めても、忘れたころに頭は再び痛みだす。頭の熱が感じられるころになると、そこから心掛けたとしても、一度はそのまま落ちていく。
学ぶことは難しい。そうとはいえど、一度学んでしまえば、それを知ったものになっている。知ったものについて、得るためにどれだけ苦労したかは、知ったということの理解度に影響することはない。学びを維持することは、ざるで水を掬い続けることだ。そこには終わりなどないが、掬い続けることでどこまでも水を増やすこともできるのだ。
どんなところでも、体は大切な資本になっている。資本という例を持ち出すことさえおこがましい。体は大切だ。おそらくそれは自分自身であるのだから。
頭が痛くなれば首が痛くなる。腹に膨張感があれば食欲もなくなってくる。
日常の健康は、日常の体調管理の結果として、私の素晴らしき成果として生まれていると考えれば、とても愛おしものに思えてくる。そう、いまだけは。