知っているあの方角

小さい頃、知らない道を歩くことがあった。行きたい方向は決まっているけれども、細かい道はわかっていない。まさに北に向かって進もうである。

当時は、スマートフォンなどなく、ただただ感覚に従って歩いていくだけだった。それでも、行く場所へたどり着ける確信はあり、新しい道を歩くのは気持ちが良かった。知らない道であるにも関わらず、あたかも知っている道のような印象も受け続けて、知らない交差点が、なぜか知っているかのような記憶の断面を浮かび上がらせてくる。知っていることと、知らないことの混じり合った不可思議な思い出が残っている。

もちろん迷うこともあったのだが、そこからの修正の試行錯誤も含めて、目的地に向かって進んでいるという感覚を持てていたように思う。

今では、新しい場所ではスマートフォンの地図を見てしまうことがほとんどだ。迷うことといえば、GPSで自分の向いている方向を間違えるぐらいになりました。知らない道という言葉の意味が失われてしまったかのようだ。知らない方向へ歩いていって、こちらへ行くと何があるのだろうかと思うことも少なくなった。

そして、多少とも道を混同したり、わからなくなると、すぐに迷ってしまったという感覚に襲われるようになった。以前であれば、そもそもが正解の道という考えがないために、方向を探り探りあるいていたが、指示される道が生まれたときから、間違った道というものも生まれてしまった。

もう一度、あの方角へ歩いていけるようになりたいと思う。どの道を行くかもわらない。どこにあるかもわからない。それでも、迷いなくたどり着けるあの場所へ行きたい。もうたどり着けないのだろうか。そんな場所は、もうなくなってしまったのだろうか。

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