カラスのいる平常

カラスが駅の売店から商品を咥えて飛び立った。

山のキャンプなので鳥が物を持っていくというイメージはあったが、日常の中の駅の売店からという発想はなく、驚きであった。カラスにとっては、それが展示されている商品であることは何の意味もないのであって、いたって通常の行動だったのであろう。それが食べ物であることを認識できたことは不思議ではあるが、以前そのパッケージに食べ物が入っていたことを見たことがあるのかも知れない。

そう、動物にとっては、人間がそれに与えている意味など何の意味もない。カラス残飯を好んで漁っているのではないのかもしれない。単に人間の監視がなく、容易であるからこそ、近づいているだけかもしれない。

人間が支配しているという感覚を持っている空間についても、それは人間の身勝手であろう。そして、その感覚は、日頃の感覚を基準にしているにすぎない。たかだか一度カラスが登場しただけで打ち壊されてしまうものなのだ。

確かに、そういったカラスは多くはない。人が多いところは、カラスにとっても危険があるだろう。追いかけられて傷つくかもしれず、そこまでするにはリスクが大きそうだ。あのカラスは、カラス界の中でも、やんちゃな奴だったのかもしれない。

カラスはなかなかに知能が高い動物であるとは聞く。個別の人間を認識することもあるようだし、恩義のようなものを感じたかのような行動をすることもあるようだ。カラスにとっても、あれは決して日常ではなかったはずだ。あのカラスにとっても、何か特別な理由があったのもしれない。譲れない一線や、やむを得ない事情があったのもしれない。

残念ながら、あっけにとられて目線で追うことしかできなかった私には、もはや彼の事情を知ることはできない。彼が今何をし、何を考えているかも、想像することしかできない。

この場面は、幾人かの人たちも、カラスを視線で追っていた。不思議なできごとを、共感できた瞬間であった。彼らの心に、カラスは何を投げかけたのだろうか。

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