傷と愛着

腕時計を付けないな言われて久しい。スマートフォンを持つことが当然になり、かつ、スマートフォンを常時見ることが当たり前になったことから、腕時計の必要性が低下しているというのはもう昔から話と言っても良いほどだ。

私はできるだけ腕時計を使っていたいと考えている。論理的な理由はないが、習慣として続けたい。ある程度フォーマルなものは持っていなければならないときがあるし、また、いつでもスマートフォンを持ち出せるわけでもない。

そんな中で、使用しているものに傷がついていることに気が付いた。自分で使っている中での傷であって、それ自体は何ら問題はない。問題はないのだが、私の中で傷つくものとの認識がなかったために驚きがあった。

ガラス風防の傷

風防の種類は、サファイヤクリスタルガラス、ミネラルガラス、プラスチックに分けられるようだ。私のものはどうやミネラレルガラスで、まあ一般的なもので、安価でそれなりではあるが傷がつきやすいとのこと。幸いにも傷は周辺部だけであって文字盤が見える部分ではなかった。周辺部はどちらにせよ透けて見える部分ではないので、かえって味がついたというものだ。

ベゼルの劣化

もう一つのものは、ベゼルの樹脂が劣化して本体との間に隙間ができていた。樹脂なので、傷がつくのは当然で、さらに加水分解も生じてきていた。なんとなく丈夫な印象だったので、隙間を見つけたときは軽い衝撃であった。

しかし、この劣化具合を見ると、思いのほか早くベゼルが崩壊しそうでもある。見てみると交換用の販売もあるようだ。公式にても修理は可能なようで、樹脂製のベゼルとベルトの交換費用は、ほぼ部品費用と変わらない。ベゼルの部分も、交換可能な前提の仕様のようである。

ちなみにスクエアのG‐shockなのだが、LCD部分に昔から傷がある。この部分の公式での交換費用を見てみると、さすがに高かった。ここまで交換すると、新品を買うのとほとんど大差がなくなってくる。

商品の性質からしても、修理するものというよりは、使い倒すものだろう。金属製のものになるとまた違ってくるとは思うのだが。

傷の次へ

風防が傷ついたものも、ベゼルが劣化してきたものも、いずれも高級品というわけではない。実用的であるが、手軽なものであるし、傷ついても気になるものではない。

高級なものを購入するときに、それをなくしても気にならないかが一つの基準になるとどこかで見たことがある。なくして困るようであれば、それは分を超えているということなのだろう。

多少なりとも背伸びをして、あるいは参加のためとして入手することもあるだろうが、その場合も、なくしても気にならないようにもしていくことで、それ相応のものになっていくのだろう。

傷がついたとしても、それによって心の平穏は傷つけたくないものです。

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