少しだけ始めること

何度でも流れてくるライフハック。億劫なことは、少しだけ始めて見ること。勉強も、仕事も、筋トレも。

5分だけ机の前に座ってみよう、5分だけ作業しよう、5分だけ腕立てしよう。それだけで劇的に変化する。

5分だけで終わらないだろうことを期待しつつ始める5分はやはり難しいのではないかという気もするのだが、そこは期待が裏切られる。人間はそこまで賢くない。賢くないというか、体は正直というべきか。

5分経てば、それは今の私ではなく、5分後の私なのだ。しかも、5分間新しいことを続けていた私なのだ。もはや今の私とは別人であって、それを継続することの苦労は著しく減少している。

いやはや不思議なものだ。

5分だけの方法では、その後も続けることができるか、このその後とはそのときのことではなく、そこから継続的に行うことができるかについては、また別の話ではある。

そのためには、新たな5分間が必要になってくる。そこにはまたひとつハードルがあるのだ。しかし、仮に三日坊主になったとしても、三日間行ったことが失われるわけではない。

継続することでより成果が得られやすいことは多いが、継続しなかったからといって、その行為を悔いることはそうそうない。また、悔いるべきではないだろう。始めたこと、達成したことは大いに意味がある。体験の0と1は大いに違いがある。

百や千や万を称賛することに憂いはないが、千里の道も一歩から、その一歩を大切にしていきたい。一万歩を数えた人が、一万歩だけ歩いていたとは思えない。きっと何万も何十万も歩いたうえで、そのときに数えていたものがたまたま一万に至っただけなのだ。

継続のための方法を模索するのもいいだろう、しかしながら、1を積み重ねることも大いに歓迎していきたい。0から1と、1から10には大きな違いがある。1を持っていれば、10の用意ができるのだ。

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