炎上とメディア側の対応

キャンセルカルチャーという言葉自体はあまり聞かなくなりましたが、その内実は着実に広まったように思います。とはいえ、違和感を覚えることも確かです。SNSなどで不適切なときには違法性も帯びる発言などがされて炎上することは珍しくありません。しかしながら、それが当該SNS内にとどまっていれば、社会的な広がりはそれほど見られません。結局は、それが他のメディアに取り上げられ広まることが、炎上に油を注ぎいれることになります。

その一連の流れ自体が炎上であり社会的広がりなのだと言ってしまえばそれまでですが、問題だと取り上げること自体が問題を作り上げている面が多分にあるように思われます。そして、その大きさに対処の必要性を感じた者によりキャンセルが生じていくことになっています。

本来的には当事者間において対応ないし解決される問題について、外野が面白おかしく取り上げることで、炎はより大きくなります。これが沈静化されるのは、取り上げられる量が減ってきたときでしょう。そのためには、当事者らが種火を増やさないことです。問題を起こした側も、起こされた側も、その問題に集中して淡々と対応すれば、外野からは面白みがなくなりますので、取り上げられる機会も減っていきます。

結局は昔から言われているように、反応しないこと、無視することが最適な対応策なのかもしれません。これは粘着するような人に対して言われていたことですが、これがメディアに対してもいえるということは、メディ側の質が落ちている結果に思われます。メディア自体の質もさまざまですし、その性質も多様になりましたので当然の結果なのかもしれません。

また、メディアに取り上げられること自体が仕事の内容に多大な部分を占めている場合は、痛し痒しなのでしょう。メディア側においても高い倫理性が備えられておらず、話題性が優先する結果として、演者側でも多様なことがらにつき対応が必要になってしまっているように思います。

鶏が先か卵が先かではありますが、メディア側も踏みとどまるラインを見極めつつ存在を主張することになるのでしょう。油を注ぐ立場になるのかそうでないのか、質が多様になった分、慎重な判断が求められるべきといえます。

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