ChatGPTは機能として捉えたい

最近再びChatGPTを触るようになりました。主な使い方は、やはりアイデア出しや漠然とした話題の交通整理のドラフトとしてです。とりあえず自分なりに考えた後で利用すると、抜けがある部分を指摘してもらえるので重宝しています。ただ、あまり細かく指示をすると、それを汲み取って回答がなされます。精度が高いともいえますが、偏りが維持されてしまうことにもなりますので、第三者視点を得る用途については痛し痒しになります。

このあたりも含めてプロンプトを考えればよいのですが、距離感の取り方の調整が難しいですし、そこに頭を使うのも馬鹿らしく思えてしまします。

また、現在のChatGPTはユーザー毎に調整されているようです。New Chatにて、漠然とした質問をしてみましたが、どうみても私のこれまでの既存Chatの履歴に影響を受けていました。それらを参照せずにという指示も可能でしたので、利用の仕方でどうとでもなりますが、Chat毎に区別されていると思っていましたので驚いてしまいました。こうなりますと、ChatGPTがどのような回答を返してくるのかを予想することが難しくなります。

ChatGPTに対して、特定の人格のような唯一の存在を考えてしまうと扱いが難しいです。同じ古本屋には二度と入れない理屈と一緒で、常にあたらたな存在として受け入れるほうが便利に思います。結局はChatGPTはあくまで機能であって、特定の質問に対して特定の回答が常に得られるとは考えてはならないようです。

当然ながら、ChatGPTがこのように回答したという価値はほぼ無意味と考えるべきです。あくまでも自分自身の主体性を考えたまま、一つの反射として得られた回答に過ぎないとして扱い、ChatGPTの擬人化を避けると利用しやすいです。

ChatGPTを主体として考えるのではなく、あくまでもChatGPTに対する入力と出力に注目し、ChatGPT自体については他の生成AIと入れ替わっても影響がない意識を持ちたいと思います。ChatGPTが取り上げられた頃に、特定の人格を与えるような設定を用意して対話を行うというものがありました。これ自体は今でも有用ですが、この設定にどこまでが含まれるかを考える必要があります。いわば、人格が対話により汚染されていく恐れがあります。実際の人間であれば他からの影響を受けることは当然ですが、特定の人格を与えたい場合には、できれば汚染は避けたいです。

逆に考えれば、人格を育てるということについても挑戦できそうです。軸となる人格を想定できるのか、どこまでユーザーから乖離して距離を保てるのか、このあたりの調整が楽しめそうです。

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